Daily ramble

なまけないようにするためのブログ

個を知る

人間は似た者を求め、変化を嫌う。

 

こんなこと、聞いたことありませんか?

 

私はこれは一般的に行って正しいと思います。だから国や街という「くくり」が成り立つんだと思います。

 

同じ言葉を話す人と話すほうが、第二言語で話すよりずっと楽なのは言うまでもありません。

話さなくても分かっているのが当然、という「常識」も同じ場所で育った人とのほうが共有できると思います。

それもそのはず、常識や倫理観というのは、けっこう地理的な要因がキーとなります。昔は街と街の間の交通機関などなく、山を乗り越えて違う街に行く、というのは大事だったはずです。だから同じ街で育ち、そこで人生の多くの時間を費やすのは普通でした。

だからその地域で生き抜くための術というのが必須となるわけです。

もしある地域で、倫理的に悪いことをして人々から悪い評判を得たり、他の人に変な(一般的でない)接し方などをしたら、誰かから好かれ、子供を作れる可能性は低くなります(強制的な結婚・妊娠などはこのブログでは含めません)。だからある学者たちは、私たちの倫理観はより賢く、より効率的に生き抜くために発達してきたもの、というか、倫理を守れる人のほうがより子孫を残すことに成功してきたから、人間の倫理観が発達してきた、と考えています。

 

だから、この理論上では、自分の暮らす地域の多くの人から支持される倫理に沿って生きて行くのは理にかなっているわけです。少数派は生き残りにくいですから。

この理論が正しいかはわかりませんが、私は個人的に納得しています。

だから一番最初に言ったようなことわざができたのかもしれませんね。同じ場所で生きていれば、その場所特有の生き方が身に付き、他の場所に適応するよりもその場所で過ごしたほうが効率的に苦は少なく生きれます。

 

つまり何が言いたいかと言うと、ある地域で育った人たちはある意味で似ているんです。考え方とか行動とかいろいろ。

 

で、ここからが私の考えなのですが、そこにいる間はそんなこと普通考えません。

基本的に適応しよう適応しようとも考えないはずです。自然と身につくものです。

 

(あ、このブログでは多少の一般化は見過ごしてください。こんな例外もあるからそんなこと言えない!と言われても、そんな全部のケースを見ていたらキリがないので、ご容赦ください。)

 

この前のブログとかぶるのですが、私の日本人としてのアイデンティティーはカナダに来てからできました。

 

たぶんこのブログを読んでいる人の多くは、日本で生まれて日本で育った人たちのはずです。あなたたちに聞きたいことがあります。

 

自分のアイデンティティーは何か?自分を構成しているものは何か?と聞かれたとき、何て答えますか?

 

 

日本人である、という要因は思い浮かびましたか?

みなさんがどう思っているかは知りませんが、私はカナダに来るより前、自分が日本人である実感はあまりなかったです。

そりゃもちろん日本人なのですが、わざわざいうまでもないというか…

だって周りもみんな日本人だから、日本人であることが他の人たちと自分を区別できるような特別な要素ではないからです。

 

そうなんですよ、同じものを求め、変化を嫌うなら、特別であることってあんまりメリットにはならないし、似たもの同士集まる(集まってる)から、わざわざそんなこと考えません。

 

私と同世代の人たちはちょうど就活を終えたか、就活真っ最中だったりで、自己分析や職業調べをやっていると思います。

例えば今は「グローバル」が流行りだから、英語や他の言葉を頑張っていたり、就職後海外転勤も快く受け入れるよ、というアピールをしている人も多いのではないでしょうか。

もし海外で少しの期間でもプロフェッショナルに活躍したいのなら言葉だけでは足りないというのが私の意見です。

自分の国のこと、自分の文化をもっとしっかり見てからじゃないと、力は発揮しにくいと思います。

私も初めて来たときは全然日本のこと、日本人としての自分自身のこと全然知りませんでした。だから日本ってどんな国?みんなどんなことするの?と聞かれてもあまりうまく答えられなかったのを覚えています。

実感がないんですよ。今までずっと普通と思ってきたから、わざわざ言及するまでもない、ときっと勝手に思っていたんです。

言い訳に聞こえるかもしれませんが、私は高校生でした。若かったから、許される部分は本当に多くあったと思います。

 

でももしみなさんが海外に仕事に行ったり、仕事で海外の人と接することがあるなら、ぜひ日本のことを知る努力を、海外のことを知る努力と同じくらいしてほしいです。

 

日本人は外国でなめられやすい、なんていう話はよく聞きますが、それは海外に行く日本人が外国で期待されている基準よりもずっと無知だからです。たぶん。

 

日本人は「なんとなく」みんなで楽しいことをするのは得意です。ずっとくだらないことをして、たくさん笑って、キラキラした写真を撮ることは本当にみんな上手です。それはもちろん悪いことではありません。

 

だけど、外と内を比べたり、自分の考え方をしっかり示さなければいけない機会は本当に少ないと思います。

個人的な意見なのですが、何かと比較しないと、自分の意見ってはっきりしてこないんですよ。こういう考え方もあるけど、私はこう考える、というように。だからいろんなものに目を向けて初めて自分が何を考えているか分かる、というのが持論です。

 

だから自分とは何か?というのを、どんな仕事が好きか、こんなスキルがあるからこんな仕事に向いている、というだけではなく、自分はどんな文化の中で育って、それがどんな風に今の自分に影響したかというのを少しでも考えてみてください。難しいけど楽しいですよ。

 

私は自分を知るエキスパートとかではありません。どちらかというと、就活でやるような自己分析というのは苦手です。だけど自覚を持って生きるのは大事だな、とこっちで暮らしてきてふと思う瞬間は多いです。

 

最初から最後まで何度か読みましたが、一貫性にイマイチかけたブログになってしまいました。でもこれは論文じゃないし、自由に書けるのがブログの醍醐味!と思って何も直さず投稿しました(笑)