Daily ramble

なまけないようにするためのブログ

美のコンセプト

かわいい、とか、セクシーだとか、そういうコンセプトに「真の」とか、「本当の」意味はあるんだろうか。

 

私はないと思う。

この手のコンセプトは不変ではない。

それでいい。

 

でもそれではよくないのが、世間とメディアだ。

 

どうしても何事にもラベルをつけたくなる。

カテゴリー分けをして、客を集める。客に名前を与える。

客はその名前を誇り高く掲げる。

 

例えば、これは美とは全く関係ないけど、カテゴリー分けの例として、音楽業界を見てみよう。

 

プログレッシブロックとパンクロック。

この境界線は微妙だ。

 

でもカテゴリー分けすることによって、CDショップに違うセクションができ、客はそれに従い曲を探すことができる。

そしてその客たちは「自分はパンクロックのファンだ」と言う。

プログレッシブとは違う、パンクが真のロックだ、とか言う。

カテゴリー分けにより、自分が特別になり、優越感や、他のファンとの団結感を得る。

賢い商法だ。

 

とにかく、カテゴリーは分けるだけ分けて、それらに名前を与えるのは、物事に一種のアイデンティティーを与えることになる。

 

美の定義もそうだ。

 

雑誌やテレビで、出される人たちの共通点は、だいたい細くて、目が大きくて、髪がつやつやで、白いこと。

それをメディアがかわいいかわいいと騒ぐもんだから、あ、それが「かわいい」んだ、と私たちは思う。

だから今の「かわいい」の定義の一部は細くて白くて目が大きくて髪がサラツヤなこと。

 

でもこれが「真」のかわいいなのか、と聞かれたら私はそうは言えないと思う。

じゃあかわいいってなによ、と聞かれても答えられない。

この手の定義は、かわいいの一例であって、定義ではない。

 

日本では「美」は「かわいい」とほぼイコールだと私は思う。

かわいくなることは、いいことで、魅力的になること、だと日本では思われている。

 

でも海外での美や魅力は日本のかわいいとは全く以って違うものだ。

 

セクシーになることが美だ。

 

Victoria's Secret(ランジェリーショップ)のファッションショーを見たことがあるだろうか。

これはモデルたちがほぼ下着(と言っても超派手で下着の域を超えるようなもの)でショーをする。

北アメリカではこれはもう超ビッグイベントで、このショーに出られるモデルたちは、トップモデルたちだ。

 

だから北アメリカの多くの女子たちが目指す美は「こういう」魅力なのだ。

セクシーで、大人っぽくて、ミステリアス。

出すところは出すのである。

 

日本ではあんまりセクシーになることは「勧め」られていない。

少しでも谷間の出る服を着ると、うわあすごいね、と言われたりする。

逆に、カナダの友達に、日本ではかわいくなることが正義だ、と言ったら、変なの、と言われた。

 

でもどちらも、土地は違えど、大多数から支持されている美の形だ。

だからやっぱり美を定義するのは難しい。

 

だけどメディアのせいで、私たちは、美の一例に踊らされている。

自分の好きな美を目指すのが一番だけど、メディアのせいで、かわいいはこうでなきゃ、と思ってしまいがちである。

 

だけど自分の似合うものを着ていれば、その地で同意されている美とは少し違くても、周りは「きれいね」とかけっこう言ってくれるものだ。

だからまだ、いろいろな形の美を認識して認められる人は多くいるのだと、少し希望が持てる。

 

 

カナダでは、もちろんセクシーなものを着ていれば褒められる。

メイクも濃いめにセクシーな魅惑的(?)な感じでいけばなおさらだ。

 

だけど、私はそういうのが周りの子より似合わないのはわかっている。

背は低いし、顔も童顔だ。どうしても15歳が頑張って背伸びした感が否めない。

 

似合わないのに褒められるのは、その「パッケージ」が美として今のところ確立しているから、そのメイクとドレスがセクシーとして捉えられているだけであって、私がセクシーなわけではない。

 

それに気づいてからは、自分に似合うものだけを買うようにした。

その服自体は大したことないけど、私が着ればよく見える。

逆かな、その服が私をよく見せてくれるのかな。

まあどちらにせよ、二つ合わされば魅力的になるのだ。

その服を着ていると私もハッピーだし、周りも素敵ね、とよく褒めてくれる。

そういうものに出会えるチャンスは多くないけど、出会えたときの喜びは計り知れない。

 

服がトレンディーだから買う、ということほど、世間に踊らされていることを痛感することはない。

そしてその服はすぐにトレンディーではなくなる。

その服はあなたに似合っていただろうか?

似合っていたら、トレンド過ぎても着続ける。

けど、そういう服持っているか、一度自問してみてほしい。

facebookのグループなどで、「一度しか着てない服売ります」なんてポストをよく見るけど、なんで買ったんだろう。

 

よく「好きなものを着るべきだ」という人がいるけど、どういう意味で言っているのか聞きたい。

そういう人たちでも、流行りの服を安く手に入れて、シーズンごとに入れ替えている気がする。

好きなんだったらもっと大切にするべきだし、生半可にこの服が好き、だなんて言うべきではない。

服は人に着られるのが目的だから、服だけが好きでは意味がない。その服を着た自分が好きかどうかが重要だ。

私たちは「共通」の「真」の美にたどり着こうと必死で、いろいろなスタイルを試して、これもだめ、あれもだめ、の繰り返し。

 

真の美なんて、人それぞれなのに。

 

 

 

 

シリコンバレーでのインターンに至るまで

実は今年の夏にカリフォルニアでインターンをしてきた。

インターンというか、無償で1ヶ月ボランティア?

でもちゃんと9時5時出勤でオフィスワーク。

 

まずここに至るまでの経緯を話したい。

 

7月上旬デンマークのビザが切れるということで、有効期限が切れるまでに国外に行かなければならず、次どこ行くかを考えなければなかった。

 

父から「サンフランシスコ行けば」と軽く言われ、あ、まあそれもありか、ということでサンフランシスコ行きの航空券をビザが切れる3日前に購入した。

数ヶ月前からサンフランシスコの話はしていたので、3日前にいきなり決めたわけではないけど、ようやく決心ついたのはたったの3日前だった。

 

航空券を手配したところで、次に絶対に確保したいのが寝る場所。

知ってる人も誰もいないから、安くていい感じのホステルを予約。

しかし夏のサンフランシスコやはり人気でどこも6日以上連続ではとれなかった。

 

でもとりあえず、ということで最初の一週間の宿泊先を出発2日前に予約した。

 

実際このとき、どのくらいの期間サンフランシスコにいるかは決めていなかった。

 

ひとつ決めていたのはサンフランシスコでインターンを探すことと、もし2週間以内に見つからなかったら、カナダに帰ること。

だから、帰りの航空券はそのときまだ買っていなかった。

 

出発日。

大好きなコペンハーゲンから乗り換え地のストックホルムへ。

 

そこで行きの航空券しかない旅は否定された。

「君、帰りのチケットないとアメリカ行きの便に乗れないよ」

というのも、アメリカは訪問者に厳しい国だ。だからアメリカ国民でなければ、3ヶ月以上の滞在は観光では許されず、3ヶ月以内にアメリカから外に出るチケットがなければアメリカ内に入れてもらえない。

 

このことうっすらとは知っていたけど、チケットを購入したときはまったく考えていなかった。

 

結果、足止めを食らい、ストックホルムの税関のお兄さんの目の前で、とりあえず2週間後くらいの一番安いであろうアメリカからカナダへのバスを買った。

シアトルからバンクーバーだったかな。

シアトルに行くつもりはあまりなかったけど、とりあえずこの場をやり過ごすためだけに一番安いであろうルートを購入。

よかった、空港にwifiがあって本当によかった。

 

そのチケットを見せ、無事飛行機に乗ることができた。

が、離陸直前にあのお兄さんが私の席までやってきて

「ごめん君のことセキュリティに通すの忘れてたから全部荷物持ってきてくれる?」

という超向こうの都合でまた空港内に戻された。

たぶん、あのとき超泣きそうな顔だった。

添乗員さんから「大丈夫、ちゃんと待ってるから、安心して sweetheart」という言葉をかけてもらい、セキュリティのチェックを受け、無事飛行機に乗ることができた。

 

飛行機の中からはアイスランドかグリーンランドか、北極の近くを通り、氷河っぽいものを見ることができた。

 

そしてついにサンフランシスコ到着。

こっちの関税では特に問題なくするすると外に出ることができた。

 

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風が軽い。小麦色の山肌。

初めて見る西海岸の風景だった。

 

メトロを乗りつぎ(のち一人で乗るのは危険な路線だと言われた)、ものすごい急な坂を経て(20キロのスーツケース2個とリュックとバックとともに)ホステル到着。

 

男女混合6人部屋。狭い。

 

とりあえず長旅を終え部屋で休んでいると一人の女の子が来た。

スペインから来て、これから3ヶ月ワイナリーで働くという。

その子とは今でも連絡を取り合う。

 

サンフランシスコの街に出ると、そこは今までどっぷりと浸かってきたヨーロッパの雰囲気とはまるで違うと肌で感じた。

 

最先端、というか新しい空気が漂っていた。

伝統は感じなかった。

やはりテクノロジーのメッカ、シリコンバレーの目と鼻の先というだけある。

 

最初の一週間はホステルでたくさん友達を作り、その子達と一緒に毎日街に繰り出して散策していた。

毎日が新鮮で本当に楽しかった。

 

旅先で出会う人たちとは、不思議なことにたったの数日間ですごく仲良くなる。

サンフランシスコにいたのは実際1ヶ月半くらいだが、その間に大切な人たちが何人もできた。

同じ授業を半年間一緒にとって、授業中に少し話すのとは訳が違う。

もっと大学の子たちとも仲良くなりたいけど、お互い丸一日一緒になんていれない。

旅先ではそんなことよくある。濃い時間を一緒に過ごす。

短期間だけどそれは大学の友人と過ごす半年よりもずっと濃密だ。

 

そんなことをしているうちにサンフランシスコに来た一番の目的を忘れかけていた。

そういえば仕事探すんだった。

 

父の知り合いの人が教えてくれたシリコンバレーや日本のスタートアップが集まるコンファレンスに行ってみることにした。

これが初めてのプロフェッショナルな場所に足を踏み入れる経験だった。

正直、とても緊張していた。

何を着ればいいかわからなかったし、誰も知り合いいないし、何を話していいのか分からなかった。

 

だけど今あのとき勇気を出して行って本当によかったと思う。

結論から言うと、そこで2つインターンシップをゲットできた。

 

ひとつはシリコンバレーのITスタートアップ。プログラミングやビジネスなど勉強していない私がまさか、とは思ったが、最終的にはボスも私のことを気に入ってくれるくらい、「仕事」をちゃんと自分からすることができ、有意義な経験になった。

ここでテクノロジーの分野にも文系の素質を生かすことは十分可能だと感じた。

 

もうひとつは日本とアメリカのビジネスを繋げ、日本文化を広める目的のNPO団体。

ここでは主に事務的な作業をした。いわゆるつまらない仕事だけど、誰かがやらなければいいけない大事な仕事。効率よく仕事をすることとは、ということを考えさせられた。

 

仕事内容については違う記事でまた書こうと思う。

 

どちらも、人と話したからこそもらえたチャンスだった。

まったく予期していなかったところからチャンスは転がってくる。

だから何事もやってみないとわからない。

 

何もわからないから行かない、なんて言っていちゃどこへも行けない。

もちろん将来のことがちゃんと決まっていないと落ち着かない人も多いと思う。

でもそのとき何も持っていないから何かをするのを諦める、のは早い。

人生割とどうにでもなるらしい。

まずその場所に行ってからアクションを起こすのでも遅くない。

だから何かにチャレンジしたい、と思ったらしてみるのが一番だと、今回の経験を通して学んだ。

 

もちろん勇気はいるけど、その場所に行けばがむしゃらで必死になって、不安になっている暇なんてないのだ。

 

仕事をさせてもらえるとわかるまでに私は3つのホステルに泊まり、たくさんの人に出会い、素敵な思い出ができた。

1ヶ月仕事ができると分かり、適当なairbnbを決め(14人収容のでかい家)、楽しいホステル生活に別れを告げた。

でもそこの新しい宿泊先でも、新しい出会いがたくさんあった。

違う分野で活躍する若い起業家たちや、私みたいに夏の間インターンをしている学生たち。みんな初めて会うような人たちだった。

 

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一ヶ月半のカリフォルニアでの生活はきっとこれからも忘れない。

スーツケース2つに私の人生を全部詰め込んで、知らない場所に飛び出すことがこんなにもわくわくすることだなんて、思いもしなかった。

それくらい濃くて、たくさんの新しい経験をして、刺激的で、今までで一番実りある時間を過ごすことができたのが、カリフォルニアの夏だった。

 

 

 

冬仕度

クリスマスソングが流れてくる時期になった。

 

聞いたことない曲でも、あ、これクリスマスソングだ、と友達に言ったら、

「クリスマスソングわかるようになったんだね、よかったね」と言われた。

 

彼は他の日本人はあまりクリスマスソングを区別できないと言っていたけど、そうだろうか。クリスマスソングっぽいってみんなわかるものではないのか。

というか日本人もクリスマスソング聞くし、たぶん彼がこれまで会ってきた日本人がただ単にクリスマスに無頓着なだけだと思う。

 

12月になったが、先月は11月にしてはすごく暖かかった。

10度を超えるときもあった。

1週間ほど雪が降ったが、それ以外はわりかし暖かかった。

 

カナダ人いわく、ここ5年ほどクリスマス前後に雪がないときがちらほらあるようだ。

本格的に寒くなるのは1月に入ってから。

だからホワイトクリスマスにならないのでは、と心配している子がけっこう多い。

 

でも今年の冬はやばい、といろいろなメディアが騒いでいるし、私たちもよく話す。

しかし今の所全然そんな気配もなく、ずっとこのまま穏やかな冬を過ごせれば、と私は密かに思っている。

 

私は寒いのは基本嫌いだ。

自らカナダとデンマークといういかにも寒そうな響きの国に住んできたが、

やっぱり寒いのは辛い。

冬は基本的に好きではない。

 

外がどんよりして気持ちも暗くなるし、寒いから外に出たくないし、寒すぎて着たい服着れないし、でいいことがない。

いいことといえば、害虫がいなくなることくらい。

 

クリスマスは好きだし、真夏のクリスマスは想像できないけど、やっぱり寒いのは得意ではない。

 

ずっと不満ばかり言うのもいやなので、どうすれば冬を好きになれるのか考えてみた。

 

1、春が来るのを楽しみに待つ。

これはけっこうきつい。あと4ヶ月健気に待っていないと来ない。

それまでに何日吹雪かれるのかと想像してやまない。

でも春はいい。みんな一気にタンクトップになるのを見るのは楽しい。

 

2、熱い飲み物を楽しむ。

しかし猫舌な私。

 

3、かわいいセーターを着る。

これは気分も上がるのだが、なんせ外にいるときはコートに隠れてしまう。

 

ならば

4、かわいいコートを着る。

マイナス30度にも打ち勝てるかわいくて着膨れしないコートがあるのなら至急教えてほしい。

 

ちなみに私はきれいなウールのコートの下にウルトラライトダウンを着て冬を越したが、ダウンから細かい羽がたくさん出てきてしまって、下に着ているセーターがいつも羽まみれになるという事件を2つのダウンで経験しているので今年は実践しない。

 

5、彼氏を作る。

いや〜これいかに。

 

6、お風呂につかる。

湯船がない。(あるけど、栓がない泣)

 

7、かわいいマフラーや手袋をする。

世の中にはたくさんかわいい冬小物がある。大好き。

だけど寒いものは寒い。絶対に何着てもあったかいとはならない。

けどかわいくなくて寒いより、かわいくて寒いほうがいいに決まってる。

 

8、鍋をする。

鍋!!したい!!!

アジア人を集めてたまにする。またしなきゃ。

おもちたべたい。

 

9、動く。

そう、冬憂鬱なのは明らかな運動不足が原因の1つのはずだ。

家でラジオ体操3回続けてやると汗すごい。

 

10、クリスマスソングを聴きまくる。

そして歌いまくる。難点は12月いっぱいしかできない。

 

11、家に人を呼ぶ。

いいのだけど、玄関がないから、靴底についた雪が家の中に入って溶けて、床が汚くなる。

家に入った瞬間リビングなのでどうにかして靴底が触れることのできる面積を小さくすることが今後の課題。

将来どこに住むとしても、絶対に区切られた玄関スペースのある家に住む。

 

12、こたつでアイスを食べる。

こたつないから毛布で代用。アイスは年中私を幸せにする。

 

13、スキーに行く。

しかしこの街の近くのスキー場は山ではなく「丘」…

日本の傾斜が急な滑りがいのある斜面が恋しい。

 

14、おかし作りをする。

オーブンをあっためることでキッチン全体があったかくなり、さらに甘いものもできるという一石二鳥なアイディア。

 

15、猫と戯れる。

我が家の愛猫に会いたいけどさすがに無理なので近所の猫ちゃんたちと遊ぶ。

猫はあったかくて、やわらかくて、最高。もう最高。

 

16、布団の中で本を読む。

最高。ただ肩がでるのが寒いから、なんとかそこを工夫するのが今後の課題。

 

とりあえずこんなものか。

もっといい案があればぜひ教えてほしい。

今裸足でアイス食べたから寒い。

「あったかくして」という前提はしっかりと徹底しなければいけない、と身をもって感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5年前といま

いろいろな国を飛び回っているのは、ここ5年以内の話だ。

それまでは日本から出たことがなかった。

 

ふと、初めての海外生活2日目にバスに乗らなければいけないシーンを思い出した。

 

泣きそうだった。

 

私の場合、初の海外は家族や友達とではなく、いきなり留学だった。

 

今、16歳の女の子が初めての海外、一人でバスに乗るなんて、相当心細かっただろうな、と思う。

 

16歳なんてまだまだ子供だし、それまでの人生両親のもとでぬくぬくと不自由なく育ってきた子に、そんなこと、いきなりビッグイベントすぎる。

たかがバスに乗るくらいで、なんて思うかもしれないが、当時の私にとっては、それまでの人生の中で一番緊張した瞬間だったはずだ。

 

今でも覚えているくらいだから、当時どれだけ強い思いを抱いていたのか想像できる。

よく耐えた、よく諦めなかった、と褒めたい。

 

今では異国の地で毎日バスに乗り、買い物をし、不満を言い、授業で発言し、現地民と変わらぬ生活をしている。誰が夢にも思っただろうか。

 

もし留学に行ってなかったら、今でも一人で海外でバスに乗るのは緊張していたのだろうか。

 

初めて海外に来た時は全てに飲み込まれそうだった。自分が自分として立っていられなかった。

自分の意見が持てなかった。何事も、その地で正しければ正しいし、間違っていると言われれば間違っている他なかった。

 

考える能力は初めの5ヶ月くらい無に等しかった。

 

考える時間がなかった。

英語がうまく話せなかったから、文章を頭の中で作るのに必死だった。

深く物事について考えるなんてとてもじゃないけどできなかった。

 

でも、英語にあまり苦労しなくなってからは考え始めることができた。

 

言語というのは不思議なものだ。ただのツールだ、という人もいるが、言語なしには考えることは相当難しいのではないかと思う。

もちろん、最初の5ヶ月の例からわかる通り、言語に振り回されて、言語によって考えることから遠ざけられてしまった。けど、言語をモノにしてからは、考える力を補ってくれるものだと思った。

 

今では、哲学の論文を英語で書く。もちろんたくさん考えなければ文章を読み解くことはできないし、それに対して書くことなど絶対にできない。

どうやってこの領域まで来たのかはわからない。

だけど、突然来れたわけではないのは事実だ。

 

最近、数年前と比べると格段に英語がうまくなった、と言われる。

自分ではまったく実感がなかった。

 

正直、最初の一年しか自分の成長を感じることはできなかった。

それもそのはず、ほぼ無の状態から、人とほぼ難なくコミュニケーションを取れるようになったのだから、実感せずにはいられない。

 

最近の成長は自分では気づかなかった。でも成長しているらしいのでそれは素直に喜んでおく。

 

5年前は自分はこの地の人間ではない、と強く思った。

今は自分はそれなりに溶け込んでいる、と思っている。

 

5年前は自分の意見と違うものは正しくないと思っていた。頭ごなしに否定していた。

今はいろんな意見は尊敬されるに値するものだと思っている。同意できるできないは別にして、全部議論の種になるとは思っている。

 

5年前は自分は自立できていると思っていた。

今は、周りの支えなしでは絶対に生きていけないと思っている。

 

5年よりちょっと前は、自分はほぼ完璧だと思っていた。

今は、泣きそうなくらいいろいろできないことがわかっている。

 

5年前は人を助けるという観念が自分の中になかった。

今は、助けられているという実感があるから、他の人を助けたい、と思っている。

 

5年前はとにかく反抗的だった。

今は、思春期越えたはずである。

 

5年前はまさか人を好きになるとは思っていなかった。

今は、いろんな人が好きだ。

 

5年前は22歳は大人だと思っていた。

今は、22歳だけど、5年前と対して変わらないと思っている。

 

5年前は友達のことを大切にしていた。

今でも友達のことは大切にしている。

 

5年前は家族のことはあんまり考えなかった。

今は、連絡こそあんまり取らないけれど、よく家族って変な集団だなと思う。

 

10年前は海外で生活なんて絶対にしたくないと言い張っていた。(証言あり)

今は、海外生活を経験していない私の人生なんて考えられない。

 

ここ数年の自分の中の変化は、今振り返ると、なかなかにドラマチックである。

かなり大胆になったし、かなり図々しくもなった。

 

だけど変わっていない部分もたくさんある。

 

もし、日本の大学に行っていたら、どうなっていたか、なんて考えてもしょうがないけど、考えてしまう。

今とは絶対に全然違うパーソナリティーを持っていたはずだ。

コアなところは同じかもしれないけど、細かいところは絶対に違っていたと思う。

 

けどほぼ確実に言えるのが、他人の意見をあんまり尊重せず、家族についてあんまり考えていなかったと思う、ということだ。

海外うんぬんはもしかしたら大学入ってから興味を持っていたかもしれない、けどこの二つは海外で一人で住まなきゃわからなかったことだった。

 

実際今読んでるみんなに、私の文章全部理解してもらおうなんて思っていない。

だって、経験してきたことが違うから。

ふーん、くらいで終わってしまうのだってわかっている。

でも少しでいいから、考えてみてほしい。

5年前の自分と今の自分。

何が変わって、どんな風に成長したのか。

 

私は、今の自分が5年前の自分よりずっと好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしかして

もしかして自分って特別なのかもしれない。

 

自分は平凡だ、文系で特に秀でてることもない学生だと思っていた。

つい2時間くらい前まで。正直言うと、信じられなくて今でも少し思っている。

 

たぶん、多くの学生(に限らずいろんな人たち)が同じような悩みを持っていると思う。

 

でも、こんなこと感じたことないだろうか。

 

仕事探しをしているとき、なかなか自分に合う仕事が見つからない。学校を決めるとき、自分にぴったりのプログラムがない。

自分のニーズに100%合わないシチュエーションはきっとたくさんあると思う。

 

でもそれって、みんなと違うからじゃないのか?

そういう仕事とか学部とかは、多くの人のニーズになんとなく、幅広く合うように設定されているはずだから、そこにぴったりはまったら、THE AVERAGE MANということなのではないのか?

血液型別取扱説明書みたいなものである。

 

私は最近、卒業後の進路について日々考えている。

そういう時期はたいてい「ああ自分って特に深い興味が何かひとつにあるわけじゃないし、特別な技能なんて持っていないし、今まで何してきたんだろう」と、鬱モードに入りやすくなる。実際片足突っ込んでいた。

 

仕事を少ししてから、大学院に行くか。それともギリギリだけど頑張って大学院に出願するか。

 

つい2日前、友達が「今日(笑)大学院行く気になった。締め切り1月だけど、やってみる」というのを聞いて、おお、今からやる子いるのか、じゃあ私もやっぱり直接大学院行く道を目指そう、と思い、今日2時間ほど大学院探しという口実で明後日提出のエッセイから逃げていた。

 

ただ、上に口述した通り、特にやりたいことが決まっているわけではない。どこから探せばいいかわからなかった。

だけど、とりあえずコミュニケーションとかメディアとかこれから役に立ちそうだし、文系の学生なら入れそう、と思い、その分野での大学ランキングを見た。

多くの学校はアメリカとイギリスだったが、なんせ高いし、国自体にあまり興味がないので特に気にせずスクロールしていると、ヨーロッパの学校を見つけた。

その学校のウェブサイトをいろいろ見ていると、おおおこれだ!と思うプログラムがあった。

そのときは意気揚々として、よかった、やりたいことできそう、と思っていた。

でも教授たちのプロフィールを見ていると、なんか違うな、という人たちばかり。

だから私の院探しはまだまだ続きそうだ。

 

そんなことはともかく、なぜプログラム自体はとってもexcitingな響きなのに、教授のやっていることには興味が持てないんだろう、と疑問に思った。

 

それは、たぶん、私のやりたいなとぼんやり思っている分野はあんまり学問としてはまだ成り立っていないからだというのが、今の所の結論である。

 

私の興味関心は広い。今までやってきた経験もひとつの分野には収まらない。

それはたぶん多くの人がそうだと思う。けどなぜか、ひとつのカテゴリーに当てはめたくなる。だから無理やり押し込める。

何かを勉強するために無理やり自分の興味をねじ曲げるって、少し違うのではないだろうか。

 

私の興味たちは全部違う場所に所属している気がしていた。

でもどれも私にとっては大事だし、どれも同じくらい私にとって大事ということは、「私」という媒介を通しての繋がりを持っているから、必ずしも全く違う分野に所属する活動や学問ではない、ということが言える。

つまり何が言いたいかというと、私の興味がall inclusiveな学問、というか、漠然としているけど、all inclusiveなもの、が存在したっていいと思うのだ。

 

私の興味があることを全部カバーしている人は今までにいないのだ。たぶん。

世界に存在するすべての教授を調べたわけじゃないから確信はできないけど、たぶん、いない。

私が大事に思っていることすべてを同じくらい大事と思ってくれる人は、きっと、いない。

だから、私は特別なのだ。

似たようなことをぼんやり思っている人はいるかもしれないから、まるっきり特別じゃないかもしれない。

だけどたぶん同じようなことを勉強したい、と思っている人は少ない。

近い興味を持っているであろう今同じ学科の仲間たちと、私のやりたいことは全然違う。

私だけが違うわけではない、みんなやっぱりちょっとずつ違う。

 

まだ、やりたいことがはっきりしているわけではない。けど、なんとなくいきたい方向は見えてきた。でもまだ、道は暗い。何を頼りに自分のやりたいことを突き詰めれるのかがわからないから不安もある。

 

だから、こんな暗くなりやすい時期に、私の頭は明るい道を選んだ。私、特別なんだ、と思うことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

個を知る

人間は似た者を求め、変化を嫌う。

 

こんなこと、聞いたことありませんか?

 

私はこれは一般的に行って正しいと思います。だから国や街という「くくり」が成り立つんだと思います。

 

同じ言葉を話す人と話すほうが、第二言語で話すよりずっと楽なのは言うまでもありません。

話さなくても分かっているのが当然、という「常識」も同じ場所で育った人とのほうが共有できると思います。

それもそのはず、常識や倫理観というのは、けっこう地理的な要因がキーとなります。昔は街と街の間の交通機関などなく、山を乗り越えて違う街に行く、というのは大事だったはずです。だから同じ街で育ち、そこで人生の多くの時間を費やすのは普通でした。

だからその地域で生き抜くための術というのが必須となるわけです。

もしある地域で、倫理的に悪いことをして人々から悪い評判を得たり、他の人に変な(一般的でない)接し方などをしたら、誰かから好かれ、子供を作れる可能性は低くなります(強制的な結婚・妊娠などはこのブログでは含めません)。だからある学者たちは、私たちの倫理観はより賢く、より効率的に生き抜くために発達してきたもの、というか、倫理を守れる人のほうがより子孫を残すことに成功してきたから、人間の倫理観が発達してきた、と考えています。

 

だから、この理論上では、自分の暮らす地域の多くの人から支持される倫理に沿って生きて行くのは理にかなっているわけです。少数派は生き残りにくいですから。

この理論が正しいかはわかりませんが、私は個人的に納得しています。

だから一番最初に言ったようなことわざができたのかもしれませんね。同じ場所で生きていれば、その場所特有の生き方が身に付き、他の場所に適応するよりもその場所で過ごしたほうが効率的に苦は少なく生きれます。

 

つまり何が言いたいかと言うと、ある地域で育った人たちはある意味で似ているんです。考え方とか行動とかいろいろ。

 

で、ここからが私の考えなのですが、そこにいる間はそんなこと普通考えません。

基本的に適応しよう適応しようとも考えないはずです。自然と身につくものです。

 

(あ、このブログでは多少の一般化は見過ごしてください。こんな例外もあるからそんなこと言えない!と言われても、そんな全部のケースを見ていたらキリがないので、ご容赦ください。)

 

この前のブログとかぶるのですが、私の日本人としてのアイデンティティーはカナダに来てからできました。

 

たぶんこのブログを読んでいる人の多くは、日本で生まれて日本で育った人たちのはずです。あなたたちに聞きたいことがあります。

 

自分のアイデンティティーは何か?自分を構成しているものは何か?と聞かれたとき、何て答えますか?

 

 

日本人である、という要因は思い浮かびましたか?

みなさんがどう思っているかは知りませんが、私はカナダに来るより前、自分が日本人である実感はあまりなかったです。

そりゃもちろん日本人なのですが、わざわざいうまでもないというか…

だって周りもみんな日本人だから、日本人であることが他の人たちと自分を区別できるような特別な要素ではないからです。

 

そうなんですよ、同じものを求め、変化を嫌うなら、特別であることってあんまりメリットにはならないし、似たもの同士集まる(集まってる)から、わざわざそんなこと考えません。

 

私と同世代の人たちはちょうど就活を終えたか、就活真っ最中だったりで、自己分析や職業調べをやっていると思います。

例えば今は「グローバル」が流行りだから、英語や他の言葉を頑張っていたり、就職後海外転勤も快く受け入れるよ、というアピールをしている人も多いのではないでしょうか。

もし海外で少しの期間でもプロフェッショナルに活躍したいのなら言葉だけでは足りないというのが私の意見です。

自分の国のこと、自分の文化をもっとしっかり見てからじゃないと、力は発揮しにくいと思います。

私も初めて来たときは全然日本のこと、日本人としての自分自身のこと全然知りませんでした。だから日本ってどんな国?みんなどんなことするの?と聞かれてもあまりうまく答えられなかったのを覚えています。

実感がないんですよ。今までずっと普通と思ってきたから、わざわざ言及するまでもない、ときっと勝手に思っていたんです。

言い訳に聞こえるかもしれませんが、私は高校生でした。若かったから、許される部分は本当に多くあったと思います。

 

でももしみなさんが海外に仕事に行ったり、仕事で海外の人と接することがあるなら、ぜひ日本のことを知る努力を、海外のことを知る努力と同じくらいしてほしいです。

 

日本人は外国でなめられやすい、なんていう話はよく聞きますが、それは海外に行く日本人が外国で期待されている基準よりもずっと無知だからです。たぶん。

 

日本人は「なんとなく」みんなで楽しいことをするのは得意です。ずっとくだらないことをして、たくさん笑って、キラキラした写真を撮ることは本当にみんな上手です。それはもちろん悪いことではありません。

 

だけど、外と内を比べたり、自分の考え方をしっかり示さなければいけない機会は本当に少ないと思います。

個人的な意見なのですが、何かと比較しないと、自分の意見ってはっきりしてこないんですよ。こういう考え方もあるけど、私はこう考える、というように。だからいろんなものに目を向けて初めて自分が何を考えているか分かる、というのが持論です。

 

だから自分とは何か?というのを、どんな仕事が好きか、こんなスキルがあるからこんな仕事に向いている、というだけではなく、自分はどんな文化の中で育って、それがどんな風に今の自分に影響したかというのを少しでも考えてみてください。難しいけど楽しいですよ。

 

私は自分を知るエキスパートとかではありません。どちらかというと、就活でやるような自己分析というのは苦手です。だけど自覚を持って生きるのは大事だな、とこっちで暮らしてきてふと思う瞬間は多いです。

 

最初から最後まで何度か読みましたが、一貫性にイマイチかけたブログになってしまいました。でもこれは論文じゃないし、自由に書けるのがブログの醍醐味!と思って何も直さず投稿しました(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

もう一人の自分

お久しぶりです。とっても久々にブログのことを思い出しました。

ヨーロッパ留学も終わり、今はカナダの大学に戻ってきて1ヶ月経ちました。

 

デンマークと何が違うって、学生のschool spirit、先生達の熱心さ、宿題と読み物の多さ、スピード感などなど…

どちらがいい、と簡単には言い切れないけれど、私はデンマークのリラックスしたライフスタイルのほうが合っていたかな。もちろん留学生だったから、正規生とは違う待遇だったと思うけど、それにしても1週間4時間しか学校に行かず、ファイナルしか成績をつける要素がないデンマーク生活と、今の6つ授業を取り、ボランティア活動を複数掛け持ちし、毎週毎週何かしら提出期限に追われて過ごす暮らしのギャップがすごくて、9月はげんなりしていました。

 

そんな前置きはさておき、タイトルの「もう一人の自分」とは何か。

いきなりその説明をする前に関連する話をさせてください。

 

カナダに来て4年経ちましたが、私はこの国では一生カナダ人になれないと思っています。どんなにカナダ人と一緒に過ごして、どんなに彼らの生き方を真似しても、根っからの「カナダ人」にはなれないと感じます。

実際カナダ人の定義って何?と聞かれたらなかなか答えられませんが、でもカナダの文化は日本とは違い、それを自分のものとしては消化できないのです。

どうしても外部侵入者なんです。お互い。

それが嫌で嫌でしょうがなかった。この国で日本人感を出して生きていたくなかったのが2年前の私です。せっかくこっちの大学に4年も通えるのに、カナダに染まりきれないと感じるのがすごく悔しくて…カナダ人がやること一緒にやるのは簡単だけど、心の中では心地悪いな、とか、やりたくないな、とか感じていました。でも見た目や行動だけは染まって、他の人から「カナダ人みたい!」と言われたくて、そのために自分からはやらないようなこともしました。

こういう生活の繰り返しには、なんやかんやで慣れました。

 

そんなジレンマを抱えながら、「カナダはもう慣れてつまらない!」と思い、決心したデンマーク留学。

「なんか嫌!!!」というはっきりしないけど、強い気持ちで向かった留学生活は、予想以上に自分の気持ちを整理してくれました。

 

デンマークでは、私はカナダの大学生として自己紹介をしました。留学生にとって「どこの大学から来たの?」というのはほとんどの確率で名前の次に来る質問です。

3、4つの質問後に、「でも日本人だよ」と付け加えるのがお決まりでした。

 

だから、たくさんの人が私をカナダから来た人として扱いました。どこでそういうことがわかるかと言うと、その人たちが、他の人に私を紹介するときに「この子はカナダの大学生だよ」と紹介するときが多々あったからです。

最初はただ単に気分よかったです。だって、カナダにいるときから、カナダ人になりたかったから。

でもそのうちよく考えるようになりました。

私はカナダ国外ではカナダという肩書きを持てるけど、カナダ内では持てない、と。

 

でもよくよく自分のことを見てみると、やはりカナダ人の真似して生活していたこともあって、それが知らないうちに身についていたのかもしれません、カナダっぽさが他のカナダ人じゃない人よりはあるんです。

例えば英語を話すとき、私の英語は北アメリカ訛りで、友達に指摘されたのですがsorryと頻繁に言ってしまうことだったり(これはカナダ人がよくいうことで有名)、デンマークの冬でマイナス5度くらいのとき「あんまり寒くないね」と言ったときだったり、本当に些細で浅いことなんですが、もしカナダに住んでいなかったら絶対に言わなかったり思わなかったりすることが山ほどあることに気づきました。

 

少しカナダよりな自分がいるんです。

カナダにいるときは、どうしても自分のなかのカナダさが、嘘のものに感じられて…でもカナダから離れて、ようやくそれが自分のものだ、と受け入れることができました。

カナダ人にはなれないけど、カナダらしさがあるのも自分の個性の一つ、と。

 

そう、だからもう一人の自分とは、外から客観的に自分を見ることができる存在です。

それをデンマークに行って、少しは手に入れることができたのかな、と感じます。

 

今は、私はカナダで日本人であることに誇りを持って暮らしています。

日本人らしさを隠すことはもうしません。この「らしさ」というのも定義付けはなかなか異論の多い分野なのですが…

でも、かわいい服着たいし、断るときに傷つかないようにやんわり言いたいんです。カナダで育った人たちはたいてい日本で育った人より普段の服装を気にしませんし、物事は割とはっきり言います。でも私は、スウェットに靴下&サンダルでは登校したくないし、はっきり断るのは少し心が痛むんです。だからしません。いくら「なんでドレス(ワンピース)着てるの?なんで毎日学校へ行くのに化粧するの?」と言われても、彼らのやり方にはシフトできません。1年目は割としてましたが、今は自分のしたいことを自信を持ってできるようになってきました。

 

郷に入れば郷に従え、なのですが、その程度は自分の心地いい範囲で程度を決めればいい、と思えるようになりました。最近。

 

自分のなかにある、日本とカナダという違う文化で築いたアイデンティティーを二つとも同じくらい大切にできるようになったのが、デンマーク留学を通して得た、一番か二番目に大きいものです。

 

 

もし、あなたが今同じような悩みというか、ただ単に「もうこの場所飽きた」と思うようなら、何も考えずに一歩踏み出すことをお勧めします。同じ国でも違う場所ならいいと思います。

あなたがいた場所のいいところと悪いところが客観的に見れるのはとてもいい経験になるし、なにより、新しい人に出会って、その人たちに今までの話をすると、頭が整理できます。

彼らは何も知らないから、変な先入観などもないですし。

 

もうカナダは夜中の3時半です。明日がサンクスギビングウィークエンド前最後の学校です。明日が終われば長い週末だ、やった!